東亜工業ものづくりの足跡
東亜工業の技術ルーツは、戦後の浜松で2番目にオートバイの製造を始めた二輪メーカー、丸正自動車にさかのぼることができます。
「ライラック号」に代表される丸正自動車の独創的なものづくりを通じて、当社の創業者請井由夫は「技術と挑戦心」を学びました。
そして、大小さまざまなメーカーが次々と生まれていた戦後浜松を舞台に、請井もまた自身がメーカーとなることを夢見て東亜工業を創立したのです。

「やらまいか」で知られる、浜松人気質。請井由夫もその例に漏れず、「とにかくやってみよう」という創意と挑戦の人でした。
東亜工業の餃子製造機は、お客様の餃子の味と同時に、日本のものづくりを支えてきた「やらまいか」精神も受け継いでいます。

1950年代

創業者請井由夫
丸正自動車に入社。

東亜工業創業者、請井由夫。高校卒業後すぐに「丸正自動車」に入社。丸正自動車の伊藤社長は、本田宗一郎氏の後輩として「株式会社アート商会」や「東海精機株式会社」で活躍した人物であり、そのものづくりスピリットを請井も受け継いだ。
1951年(昭和26年)、当社創業者請井由夫が、丸正自動車に入社しました。同社はシャフトドライブを採用するなど画期的な設計で知られる「ライラック号」を製造していたオートバイメーカーであり、請井は設計から工務、資材から企画に至るまで、さまざまな部署を経験しました。この時に学んだ「ゼロからのものづくり」が、現在に至る東亜のオリジナリティーのルーツとなったのです。

1960年代

下請け工場から
メーカーを目指して。

1963年(昭和38年)8月1日、請井は丸正自動車で積んだ経験を元に「東亜工業所」を設立しました。総勢6名でのスタートでした。自動車会社の下請けとして自動車部品用の金型を製作し、高度経済成長、そしてモータリゼーションの波に乗って事業は順調に推移。1966年(昭和41年)には、東亜工業株式会社を設立します。このまま自動車部品製造会社として規模を拡大していく道もありましたが、請井は下請けではなく「自社製品を持つメーカー」になりたいという想いを捨て切れず、設備投資や自社製品の研究を続けました。
東亜工業が乗り物メーカーを目指した痕跡のひとつが、このプレジャーボート。残念ながら発売には至らなかったが、「ウォータージェット」という名前と広告用と思われる写真が残されており、発表直前までこぎ着けていたことがうかがえる。
昭和44年に導入したNCフライス盤。当時の東亜工業にとっては身の丈に余る投資であり、経営を危ぶむ声まであったという。だが当初は持て余したこの機械が、数年後にはフル稼働することになる。

1970年代

自動餃子製造機の
研究・開発が始まる。

このように輸送機器畑を歩んできた請井と東亜工業は、乗り物の開発に活路を見出そうとしていましたが、ある食品会社社長の誘いで請井が見学した餃子製造機が、大きな転換点となったのです。その餃子製造機は最新型でしたが、輸送機器の技術水準で見ると数多くの改良点があるように感じられました。しかも、餃子の皮を絞り、型通りに抜くという作業は、金型を使って行うプレス作業と本質的には同じです。
「これなら、自分の方がうまく作ることができる−−」。そう確信した請井は本業の傍らでコツコツと研究を続け、そして1975年(昭和50年)の暮れ、ついに初号機を完成させたのです。「T-8」と名付けられた大型自動餃子製造機は、当社にとって初めて販売した自社ブランド製品でした。
1975年12月19日、東亜工業初の完成機を発売。8個のトレーを持ち、毎時4,800個の餃子を生産可能。従来の他社製餃子成形機と異なりネタの取り出しを完全自動化したのが特徴で、高い生産効率で注目を浴びた。写真は試作機。
当時の本社工場。所狭しと大型餃子製造機が並ぶ。当時は大手の食品会社がメーン顧客で、スーパーの店頭販売や冷凍食品用の餃子製造機が中心。手間のかかる料理だった餃子を、忙しい主婦でも手軽に一品増やせる、身近なおかずに変えていった。
現在まで続くパレット機構を完成させるまでには、さまざまな紆余曲折があった。そのひとつがこの写真だ。人の手の動きを再現することに重きを置くあまり、皮を包む機構が複雑になってしまい、日の目を見なかった。
東亜工業のものづくりのルーツが、自動車やモーターサイクルにあることがよくわかるカット。自動車のエンジンやモーターサイクルの駆動システムに裏打ちされた技術を応用して、初期モデルから高い耐久性や信頼性を発揮していた。

1980年代

お店の味を受け継ぐ
小型餃子製造機の登場。

こうして誕生した初号機「T-12」は、その登場から5年間で約200台が世に送り出されました。その初号機に寄せられたお客様の声を反映し、具の充填方法といった核心的な技術にもメスを入れた「T-16」は、老舗のお客様からも太鼓判を押していただける食感を実現し大ヒット。その後も改良を重ね、その後継機であるTX-16は当初の2倍以上の生産効率と高いメンテナンス性を実現して、東亜工業の主力大型機であり続けています。
その一方で、さまざまな形・大きさの餃子を再現する東亜工業の「包む技術」にフォーカスしたのが、1988年(昭和63年)登場の「小型餃子製造機」シリーズです。人の手が多く入る餃子は、店ごとに味も形も食感も異なります。個人商店でも設置可能なサイズながら、忠実にお店の味を再現する東亜の「小型餃子製造機」は、日本中の飲食店や食料品店に受け入れられ、瞬く間に当社の主力商品となったのです。
小型餃子製造機は、独自の味を少ない人手で守り続けてきた飲食店から大きな支持を得た。お店ごとに異なる餃子の個性を忠実に受け継いだ上で、オートメーションのメリットを打ち出すために、数多くの試作品が作られた。
1980年代終盤の頃の営業部。小型餃子製造機のヒットにより、日本中の個人商店主に向けた販売・サービス網が拡大していった。機械を販売するだけでなく、サポートを行う関連会社も設立し、サービスの質も高めていった。
 

1990~

日本の餃子から、
世界の餃子へ。

1990年代に入ると、80年代終盤から引き合いがあった韓国・台湾向けの輸出が本格化し、「日本の味」としての焼き餃子が東亜工業の餃子製造機とともに海を渡るようになりました。また、当社の餃子製造機の導入を機に新たに餃子をメニューに加えるお店や、新ビジネスとして餃子の製造販売を行う食品メーカーが増え始め、それら“餃子ビジネス”のスタートアップを支援する役割も担うようになっていきました。現在の「餃子専門店開業支援」のルーツです。

東亜工業は、これまでに培った「ものづくり」技術を軸に、これからも日本の食文化である餃子の魅力を世界に広げる挑戦を続けていきます。
小型餃子製造機を移動式屋台に据え付け、スーパー店頭などでの“実演”製造販売を提案した「ミンキッチン」。食品イベントへの参考出品だが、餃子製造機の製造だけでなく、餃子を使ったビジネスを提案するという、新たな取り組みにつながっていった。
2010年(平成22年)には、“餃子を使ったビジネス提案”を自社で実践することで、開業支援サービスを本格的に始動。ゼロからの人気店づくりを支援できる唯一無二の存在として、新しい歩みを進めている。